知らんけどアウトプット

とりあえずアウトプットするところが欲しかったので書いてみる。知らんけど。

まぼろしスイマー を読んで

以前の記事からずいぶん間が空いてしまった。
部署異動を経て、目まぐるしい日々を片付けているうちにもう12月である。
下書きの中にある、Evernoteを活用したレシピ管理の記事も、公開する前にEvernoteの無料プランが縮小してしまった。
TwitterもXとなり、世間は大きく変わってしまった。

さて、11月に友人 岡田奈紀佐さんが作品集を出した。
spice16g.hatenablog.jp

彼女とTwitterで知り合ってもう10年以上経つ。
彼女の表現を、Twitterのタイムラインで、ブログで、写真で見て・触れてきた。
もちろん短歌を始めた時も。
短歌の世界のことはてんで分からないのであるが、ネットプリントを発行した時も影ながら出力したりしていた。

そんな彼女が、これまで発表したものも含めて本という形になった。傍で見ていた者としては、感慨深いし、嬉しく思う。彼女が装丁も行ったということで、彼女の夫である天野うずめさんの作品集も合わせて購入した。
できればブースに訪れたかったけど断念し、通販でお願いした。

まず届いて気づいたのが、それぞれの作品集の紙の違いだ。
まぼろしスイマー」はつるつるとした紙。彼女が撮影した写真がよく映える。裏表紙が真っ白ではなく、グレーなのも、まぶしすぎず良い。
「似た服を買う」ではざらりとした質感で、表紙にデザインされた布を思わせる。
後から聞くまで気が付かなかったのだが、本文の紙も違っていた。気がつかなくて悔しい。

作品や表現の仕方にも、個性が出ていて面白い。フリーペーパーでは、お二人がお互いの作品集を読み合っているのだけど、この小さな紙にもそれぞれの持つ雰囲気を感じることができた。
いや、まあ、うずめさんにはお会いしたことはないんだけど。

短歌については彼女を中心にしか触れていないため、味わい方はよくわかっていない。
ただ、作品の中には、その背景となった(であろう)出来事を知っているものもあった。
背景では色々あったことを、限られた言葉の中で、作品として昇華させている。そのようなことを考えながら読むのは失礼なのかもしれないのだけれども、思いを馳せずにはいられなかった。

まぼろしスイマー」にはエッセイも収録されている。
彼女の高校時代の先生は、彼女のことを「書かずにはいられない人」と表したとのことだが、本当に的を得ていると感心した。個人的には、彼女の撮る写真にも触れてきているため、書くことに限らず、様々な表現を止められない人だと思っているが。

本人にも伝えたところなのだが、エッセイの中でも「丸く」について、文章として書き記してくれたことを心から感謝している。

そういえば、人はあっけなく死ぬと思ったから、
だから私はあの時に、名古屋に住む彼女に、
タイムラインだけでなく、直接会いに行ったのだった。

夜行バスで名古屋に生まれて初めて降り立った。会ったのは初めてなのにあっという間に1日が過ぎていた。
あまりに楽しく過ごせたので、翌日、ひとりで明治村を訪れた時も、一緒に来てもらえばよかったなあと感じていた*1
今では「心の故郷」と呼んでいる明治村に出会えたのも、彼女のお陰であるのだ。


TwitterがXとなった今。
Twitterのタイムラインで彼女らと過ごしていた、あの頃の空気感を、文章に閉じ込めてくれたこと。あの頃のTwitterの残り香を、どうにか感じることが出来るうちに、記してくれたこと、それを読めたこと。それだけでも有難く思っていた。
彼女のブログに、ブースに来たお客さんについて綴られている。

忘れられないお客さまがいる。ふらっとわたしのブースに来られて、わたしの作品集『まぼろしスイマー』を手にとって少し読んで「気になる…」とつぶやいていた方だ。わたしとうずめ氏がお互いの作品集を読み合ってつくったフリーペーパーをお渡しすると「ありがとうございます!」と言っていったんブースを離れていったのだけど、少ししてそのお客さまはわたしのブースに戻ってきて、「スイマーください!」と言ってくださったのだ。忘れられずに戻ってきてもらえたこと、やっぱり欲しいと思ってもらえたこと。とてもとてもうれしかった。

本のさんぽみちで初めて本を売った話 - パーソナル銀河

文章として記してくれたことだけでも嬉しいのに、彼女も私も知らない誰かに、届けてくれたこと、届いたこと。こんなに嬉しいことはあるだろうか。
自分でもどういう立ち位置でコメントをしているのか、何様だと思うけども、それでもやっぱり嬉しく、心底感謝しているのである。

Twitterを始めたころ高校生だった私は、大学生になり、就職して、現在30歳を過ぎたところだ。
年上のお姉さんたちに囲まれて日々を過ごしていた印象が強いのだが、気づけば知り合った頃の年齢をとうに過ぎていたようだ。
ガラケーで使っていたサービスは終了していった*2し、ガラケーipod touchの2台持ちが最強だと主張していた私も、今やiPhoneユーザーである。なお、アプリのアップデートを拒んでいるため、私のiPhoneにはまだ青い鳥がいる。引っ越し先を見つけないとね、と思いながら、まだ青い鳥をタップしてしまう日々だ。

話が逸れてしまった。
彼女と話していても、私たちはいつもこんな感じで、話が緩やかにかつ激しく変わっていく。だがそれが楽しく、心地よくて……いやそうなんだけど、今はそれを記すんじゃなくてだな。

本筋に戻すと。
作品を生み出すということは、労力がかかることである。いくら彼女が書かずにはいられない人であったとしても、書くことに大きな力がかかるのは当たり前のことで。
一つひとつを創り出すだけでなく、連作とし、作品集としてまとめあげたこと。心から賞賛を贈りたい。お疲れさま、ありがとう。

通販されてます。

*1:その後、何度も彼女と一緒に訪れている。ある日は謎解きをしたり、イルミネーションを見に行ったのに雪がふっちゃって中止になったり、フォトウエディング撮影にも付き合ってもらったりもした。またどこかで記せれば。

*2:jigtwiにはお世話になった。ガラケーは画面を見ずに打てるので、テレビの実況に向いていた